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知財網脈と天変地異のアウトカム(Vol.4-4)

 巨大地震が自らの生活を脅かすことはない。そのように信じるのが人間の性である。それゆえ、遠いところで起きた現実を切り取って作られたテレビ報道の刺激的な映像に対する視聴率は、高くなるのである。しかし、信じることの土台を揺るがす不安感を醸成するようにくり返し放映される二次的番組に対しては、一種の嫌悪さえ感じるのである。われわれは、自然界の営みが人々の生活リズムを大きく崩したとき、天変地異という言葉を持ち出す。しかし、その後の生活がどのように変わったのかという因果については特に問うことはしない。それはたぶん、その天変地異をきっかけにして、様々なところから人間の手が伸びてきて、経国済民の諸活動が繰り広げられるからである。そして、定められた間合いを設けて鎮魂の儀を行い、新たに作り出された生活環境の中に安住をしつつ、二度と巨大地震が自らの生活を脅かすことはないだろうと信じ始めるのである。

 この話をアウトカムの世界に変換してみる。天変地異は扇の要となる。扇の要から広げられたいくつかの破壊の連鎖とその後の創成の絵模様がアウトカムである。大きな扇もあれば、小さな扇もある。仮に、前もっていくつかの連鎖的絵模様を仮想的に想念することができるのであれば、特定の天変地異に対する安全安心の備えを事前に用意することもできる。むろん、その仮想の扇を少しだけ開いて使う者もいるだろう。あるいは、裂けそうなほど開いて、バッタバッタと使う下品な者もいるはずであるから、適切なアウトカムのマネジメントを企画し合意に至ることは、重要なのである。しかしその場合にも、常に、想定外の天変地異を無視することはできない。信じたくはない仮想の扇を意図して閉じておいたのか、あるいは、その連鎖の絵模様を描く能力がなかったのかを、はっきりさせておく必要はある。このようなアウトカムの世界は、非線形の科学にとって、格別の関心を寄せる材料となる。

 ではまず、天変地異のアウトカムをだれが想念するのか。災害対策基本法によれば、「国土並びに国民の生命、身体及び財産を災害から保護するため、防災に関し、国、地方公共団体及びその他の公共機関を通じて必要な体制を確立し、責任の所在を明確にするとともに、防災計画の作成、災害予防、災害応急対策、災害復旧及び防災に関する財政金融措置その他必要な災害対策の基本を定めることにより、総合的かつ計画的な防災行政の整備及び推進を図り、もつて社会の秩序の維持と公共の福祉の確保」するのであるから、「公」たる組織がこの種のアウトカムを想念する責務を担うことになる。さらに、例えば、電気事業者は、電気事業法の42条の定めに基づき、監督官庁の省令に基づき自主的な保安をすればよい。電気用品安全法の8条においても同様に定められている。つまり、この種のアウトカムの扇は自主的に定められた程度に開けばよいのである。しかし、「公」たる組織の長はそうは行かない。例えば、台風常襲地域における災害の防除に関する特別措置法によれば、災害防除に関することは、一国の総理大臣が周りの意見を聞いて指定するのである。さらに、原子力災害対策特別措置法の7条の原子力事業者防災業務計画では、事業者がその種のアウトカムを想念することになっているが、関係する市長等から意見を聞いた知事と協議をしなければならない。したがって、才覚のある首長がいる地域では、その種のアウトカムの扇による目配りが可能となるのである。

 一度、アウトカムの扇を広げると、当然のこと、その価値の絵模様が現れる。したがって、一般的には、事前の財貨をどれだけ少なく、どのように工面するのか、という考案がなされる。例えば、天変地異を要とする扇の絵模様の中に、原子力技術に関する知財の網脈が係わってくると色々と厄介な境界域が生じ不当利得返還請求や損害賠償請求などの世界が展開される。これが知財のアウトカム価値の課題となる。その典型例が法律上の原因がある損害賠償という境界域の問題である。原子力損害の賠償に関する法律では、損害賠償の手続方法、保険関係制度、600億円以内の賠償措置額等が定められている。しかし、故意または過失によって他人に損害を与えたということが基本の法理とされているので、その3条によって、「損害が異常に巨大な天災地変又は社会的動乱によって生じたものであるときは、この限りでない」という免責がなされている。

 ここで、「異常」という事態が想定外の範囲に描かれた絵模様の「要」であるとしよう。また、その絵模様を「損害」に限定してみよう。「異常」が発生するまで、その扇は閉じられている。したがって、異常による損害を賠償することは免れるのである。しかし、多くの場合、絵模様を作り出す骨格の中に故意または過失の類推適用がなされるような行為が存在している。そして、特に、想定外として特定の絵模様をなぜ開かずに閉じておいたのかという判断基準の運用の中において、故意または過失の類推が問われるのである。結果的にその損害が拡大した場合、責任の帰着先を天変地異ではなく人災にもとめる。それゆえ、知りえないというイノセント状態であったのか、知っていて無作為だったのか、知りえたが財貨不足で思考を停止したのか、真に描いた絵模様を越える事態だったのか、事前のアウトカムをマネジメントすることによって最小になると推定された損害の範囲とその推論から逸脱してしまった被害の増分に対する評価は異なるのである。

 「損害」の絵模様は、アウトカムの骨格に沿って描かれる。その骨格は人、物、金、制度など色々な素材を組み合わせることによって築かれる。情報もその骨組みを構成する素材となる。仮に、骨格を単純化して、知財の利用関係の性質を用いることによってアウトカムの中に特定の神経系のような網脈を描くことができるのであれば、その網脈の端と端の間に描かれる「事前のアウトカム」の姿を切り出して、そこに絵かがれているはずの「損害」を極力少なく押さえ込むことは可能であろう。つまり、「損害」が発生する原単位として「知財の束」、これを価値モジュールというが、そのいくつかの束を繋げて絵模様を再編成するのである。これは単なるアイディアにはすぎないが、安全と安心という壮大な課題を知財の価値モジュールを利用して、描くことは重要であるし、その実務的対応が不可能な話ではないと考えている。

 安全と安心を希求するには、「公」の首長によってなされる、知財のアウトカム・ポリシーが必要なのである。



菊池 純一(きくち じゅんいち)
 知財評論家。長年知財価値の勘定体系はどうあるべきかを研究してきた某大学の教授。1951年生。