ネット社会のインターオペラビリティは安心できるのか (Vol.3-9)

 K氏の携帯が「ユーガットメール」としゃべりロックミュージックがかかった。ボストンに住む娘からの定期連絡だ。これが現在の情報のネット社会である。この原稿も鉛筆は使わない。PCに話しかけて骨組みを作りキーボードで調整してメールをすると皆さんが読めるようになる。この一年間、コラムを書けないほど極めて忙しかった。知財のアウトカム理論を実践していた。知財のリエゾン組織、知財の病院、知財台帳、院生インターン、知財カルテDB、知財ファンド・・・色々である。

 相当昔になるが、電電公社がNTTの看板に架け替えるころ、2015年ごろの情報社会はどのようになっているかの長期戦略に関わったことがある。まず、放送と通信と情報処理の現場にある7階建てのビルを見せてもらった。でも、地下と屋上には入れなかった。エレベータもなかった。質問してみたところ、「許認可の仕事ですよ」という返事が返ってきた。あれから規制緩和が進み、制度改革が積み上げられ、様変わりをした。ネット社会は高層ビルになった。エレベータもできた。どこが地下なのか分からなくなった。都市化した。構造建築の図面も変わった。それよりも、誰の所有でだれが使っているのかも、ユーザーからは見えないようになった。これが現在のネット社会である。法制度の現場では、デジタル法を始めとしてさらなる許認可の仕事を作る動きもある。

 では、何が変わらないのか。その当時、19世紀の学者の名を隠れ蓑にして、自由と規制という風潮は、古い柱時計の振り子のようにゆっくりと左右に振れるものであるという役に立たない論文を書いた。古臭い社会学の言葉を借りていえば、私的な利益中心の「ゲゼルシャフト」と公益を大切にした「ゲマインシャフト」という仮想の振り子の間に、現実の振り子が見える。その振り子の中では、7階建てのビルが作られそれが都市化している。法制度の要件を変更すれば、振り子の振れ幅が決まる。
ここまで、読み進んでいただいても、含みが多すぎて難解すぎると感じる方は、インターオペラビリティに関する種々の動きを調べて欲しい。それ以前に、ネット社会の7階建てビルがどのようになっているのかを勉強したいのであれば、書店に出かけると良い。多くの本がある。

 インターオペラビリティとは複数のITシステムが相互運用可能な状態になっていること意味する。この中でソフトウエア関連特許は重要な役割、機能を果たす。特許権の付与によって私的幸福追求権と共益配分権の行使が与えられる。その見返りとして、情報開示請求と結果独占の制約に従うことになる。特に、インターオペラビリティは、特許権利者の私益にとどまらず、共益を拡大させる。知財のアウトカム価値を創造するのである。その環境の下で、企業は競争を通じてアウトカムの一部をインカムに換えることを許される。この機能が有効に作動しないと、価値創造の振り子は止まり、その中に作られたネット社会の都市は死滅するのである。
では、例えば、特許法の第93条はどのように機能しているのか。知財のアウトカム価値がマイナス、つまり、負のアウトカム価値が私的幸福追求権と共益配分権を阻害する場合、最終手段として公序良俗の名の下における公的介入権を許すのである。一般に、負のアウトカムは薬害問題や環境保全の場で生じてきた。しかし、発明によって創造される正のアウトカム価値を減少させてしまう結果を招く介入権の濫用は避けられてきた。

 今、初老の男は一種の老婆心を抱いている。それは、ネット社会の中で展開されるダイナミックかつグローバルな市場競争が萎縮してしまうのではないかという懸念から生じている。特定類型の知財に関して、狭小的な視座からその使用の制限的枠組みを構築するという行為には疑問を感じる。2005年5月になされた欧州連合理事会における「CIIの特許性(the patentability of computer-implemented inventions)」の議論は広範であったが、混乱を招くものでもあった。その余韻の中で制限的枠組みを論じるのは危険であろう。

 仮に、インターオペラビリティが負のアウトカム価値をもたらす危険性(特定の阻害など)があるのであれば、それを明確にし解析するべきであろう。あるいは、違法脱法的分子やテロリスト的存在がそのアウトカム価値に参画しようとするのであれば、都市化したネット社会の全体像を俯瞰し、正のアウトカム価値を減少させないような手段を講じるべきであろう。

 知財のアウトカムとは、普段の努力から生じるイノベーションの成果のことである。イノベーションを増進するための助成はおおいに賛成である。しかし、正のアウトカム価値をゼロにするような施策は不要である。


菊池 純一(きくち じゅんいち)
 知財評論家。長年知財価値の勘定体系はどうあるべきかを研究してきた某大学の教授。1951年生。