知財の情報開示 (Vol.3-5)

 企業経営の中で知財に関する事柄を開示するのは容易なことではない。なぜならば、知財のアウトカムが不鮮明な状況に置かれているからである。では、知財のアウトカムとはなにか。どこかの研究者が発表した論文が知財であり、それによってある企業の経営スタイルが変化することがアウトカムである。あるいは、研究者が発明者に変身するまでの努力がインプットであり、創出された発明が知財で、その内、明文化された権利範囲が特許というアウトプットである。その知財を使ってキャッシュフローが生み出されるならば、それが貨幣単位で計ったインカムである。むろん、インカムはアウトカムの一部であるから、残りのアウトカムは別の者たちの生活を豊かにすることになる。ということで、アウトカムの行き着く先は結局のところ、個人や組織の欲求の内容、例えば、マズロー欲求の体系によって類型化されたことを実現させることになる。

 この種のアウトカムを共通の言語に近い貨幣単位を用いて、「便益」として帰属計算することは可能である。しかし、微細なアウトカムを明確に計量するのは簡単なことではない。例えば先ほどの話に基づけば、まず、経営スタイルが変わることによって、新風が入り種々の経営効率が改善するだろうし、経営者の自己実現の欲求を満たすことができるかもしれない。また、その企業のストックホルダーを満足させることも可能であろう。しかし、経営スタイルの変更は、雇用者から安らぎを剥ぎ取るかもしれないし、ステイクホルダーたちの基本的な睡眠への欲求を妨げることになるかもしれない。アウトカムのプラス面とマイナス面が同居するのである。したがって、全社的にはプラス・マイナスの相殺後の影響を評価しながら、部局的にはその功罪の両面を斟酌する必要が生じるのである。

 では、情報開示に際して、インプット、アウトプット、インカム、アウトカムのどこをどのように見せることができれば、企業と市場の相互理解を得られるのか。目の前に存在する投資家にとって即戦力になる情報を与えれば良いのであろうか。あるいは、潜在的な投資家の子供たちを教育するための教材を無償供与すれば良いのであろうか。さらに、税務に直結しない非財務情報を開示して、インサイド情報と分離すれば良いのだろうか。それとも、企業が自ら作り上げた個性的な知財戦略のシナリオ、例えば、独占力を持続するためのシナリオを広くコマーシャルすることによって、投資家のミスリードを誘わないための瑕疵回避の対策として用いれば良いのであろうか。

 近々発表される先駆的企業13社の知財報告書は、米国SECが指定するようなものではないが、たとえ任意の開示内容であっても、結局のところ市場からの要請で開示を行わざるを得なくなる、いわゆる一種のデファクトとして扱われるようになると思う。それによって、経営資源としての知財の収益乗数が高まり、投資家の洞察力が進化するのであれば、それこそ、知財報告書という「知財」のプラスのアウトカムが実現することになる。まさに、知財立国の社会にとつては望ましいことなのである。しかし、ミスリードをしない範囲において考えて欲しいのであるが、例えば、環境保全に関するアウトカムを想定した場合、ISO14000のスキームへ対応することがどのような影響をもたらすのかは必ずしも明確ではないはずである。同様に、形式を整えて知財報告書をだせばニンジンがもらえるといった粗忽者のレベルから公益の増進に対する高邁な企業理念の持ち主までがこの国に混在していたとしても、知財に関する情報は、それよりも個性的で多様な性質を持っているのであるから、その者たちがまとめる報告書は、どうしても、巨視的なものにならざるを得ない。仮に、1万ページに及ぶ知財アウトカムに関する情報を1ページの報告書に集約させた者がいたとすれば、社外にいる第三者のわれわれは、その報告書に何を期待することができるのであろうか。読むものに明確なストーリーを見せて欲しいものである。



菊池 純一(きくち じゅんいち)
 知財評論家。長年知財価値の勘定体系はどうあるべきかを研究してきた某大学の教授。1951年生。