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架空の国のはなし (Vol.3-1)
これは架空の国のはなしである。知的財産を国益に直結させよう、外貨を稼げる特許を増やそう、そのためには制度を変えてしまおう。お役所を中心にそのような旗振りが何度も繰り返されてきた国のはなしである。最近、この国で知財のバブルが割れた。これからどうなるのか。その前に、まずは、どのような国であったのかを説明しよう。
この国の国民の気質はかなり歪んでいるといえる。まず、なんでも自分の手元に置くことが好きなのである。特に、手元においた発明が好きなのである。そして、発明らしきものを何でも良いからお役所に出してみるという性癖がある。それから、この国の国民の中には正直者とでも呼びたくなるような人々が多い。従って、特許料が安くなるとそれに合わせてお役所の仕事が増えるのである。さらに、この国の国民はせっかちで、かつ、几帳面という気質を併せ持っている。それゆえ、お役所が迅速に的確に仕事をしますと宣言するならば、それに合わせて下調べの調査を自前で行い、鑑定書のお墨付きを付けてまで発明の宝物を登録しようとするのである。
このような国民の気質とお役所の旗振りが互いに作用しあうと、発明の宝物が次々と蓄積してくる。そして、ついには黄金の国といわれるような国が実現したのである。当然、その宝物を求めて、世界中から知財の商人が押し寄せてくる。むろん、商談が成立すれば、寝ながらに外貨が振り込まれるのであるから笑いがとまらない。
ところが、昔とは違って今のこの国に住む国民は、力仕事が嫌いである、そして、物作りも嫌いである。風潮としては、安売りの仕事は他人まかせ風まかせを決めこむのが流行である。力仕事と物作りは、となりの国の仕事と割り切っている。むろん、自給自足などという生活は島国のいなか者のすること、そのように決めつけた生活スタイルを実行しているのである。当然のこと、自給自足のためには領土を拡大しようなどという恐ろしいことは考えもしないのである。
彼らの仕事は、となりの国に出かけて見聞録を書き次の発明に役立たせることである。そして、世界中から品物を取り寄せては検査をし、国益をもたらす知財の目録を更新することが仕事なのである。さらに、次の日には年寄りのところに出かけて、朝から晩まで発明のネタをさがしまわる。これが標準的な生活になっている。
これだけではない、この国では新しい仕事が次々と増えているのである。例えば、発明の宝物も増えすぎてしまったので、安売りをしてまでも短期的な利益を確定させたいと考える人々が新しい仕事を作り出すのである。特許が切れることも大きな社会問題である。外貨が入らずに倒産する企業も増えている。そのような企業の取引先に契約の継続交渉をせまる仕事も生まれる。国富の中身が特許に偏りすぎると、バランスを取ろうという動きが現れてくる。そこで、別の宝物、例えば、第二世代の知的財産を集めることを生業とする者がベンチャー企業を起こすのである。外貨の獲得が安定しているときはよいが、その収入に不安定さを感じると、やはり、リスクを分散したくなる。従って、より一層堅実な「年金を引き寄せる特許」というものを考え出した企業の役員報酬が倍増するのである。この国では、すでに、特許を信託して資金を調達するというような仕事は日常化している。さらに、裏経済の活動も生まれて、発明のたまごを盗まれたと役所に駆けこむ詐欺師の上前をはねる仕事も出現しているらしい。とにかく、仕事があることは良いことだが、変化のスピードが速いのである。
他方、海外展開をした企業家は、となりの国で物作りの会社を興して成功するに至る。その余剰を使って、安売りされている発明の宝物をかき集める。そして、暇そうにしている本国の発明家を集めてジェット機でとなりの国へ連れていく。ノウハウやコンテンツとかいう知財が必要になったからである。
このように書き出せばきりがないが、この国がたどってきた様を描いておく必要がある。なぜならば、崩壊が始まったからである。その引き金は、些細なことであった。発明の宝物を集めてきた巨大な持ち株会社がマネーゲームの駆け引きの失敗で倒産したのである。不意な理由から不良債権化した特許が売りに出される。国外に流失する。特許と特許が組み合わされているので、連鎖的に別の宝物が売りに出される。いわゆる、知財バブルの崩壊の始まりである。そして、この国の基本機能が麻痺するようになる。
政府はどのような策を講じるのであろうか。もう一度、知的財産を国益に直結させよう、外貨を稼げる特許を増やそう、制度を変えてしまおうと旗を振るのであろうか。苦い経験を味わった国民は自給自足できるのではないかと自問するはずである。身の回りの余計な蓄財を捨ててみる。何があれば自給自足できるのかを書き出してみる。その状態が何日何年つづけられるのかを知ろうとするだろう。その後に、天変地異と人災に備えた基本的蓄財を増やすことを試みる。さらに、遊びの道具を増やすことも、遠方にいる友との付き合いの回数を増やすことも望むようになる。そして、それでも自給自足できるかと自問するはずである。しかし、果たして、その自問が歪んだ国民の気質を変えるのであろうか。その答えは、ノーである。
たとえ、国民の気質と政府の旗振りが変わらなかったとしても、歴史は繰り返さないはずである。なぜならば、苦い経験が風潮を変えてしまうからである。自給自足に対する自問も新しい風潮を作り出すことになるだろう。しばらくすると、外貨を稼げる特許を増やそうという列が動き出す。年金を引き寄せる特許が新しい循環を作り出す。自給自足を支える特許が登録される。そして、物作りと力仕事がこの国の中に増えてくるはずである。
菊池 純一(きくち じゅんいち)
知財評論家。長年知財価値の勘定体系はどうあるべきかを研究してきた某大学の教授。1951年生。
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