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秘密の技術と公然の技術 (Vol.4-1)
知財の病気は、秘密の技術と公然の技術の狭間で多発する。例えば、「水」を作る技術を考えてみる。組織の中で秘密とか機密として管理されている技術で作った「秘密の水」がある。なにやら、うさんくさい詐欺的匂いが混ざることがあるが、その存在を単純には否定できない。この反対側に、多くの人々が知っているはずの、調べればどこかの事典に書いてありそうな技術で作った「公然の水」がある。むろん、想像をたくましくすれば、水の技術は様々な広がりを持っている。例えば、人は天から降ってくる水を「天水、雨水」という。それに特殊な異物が混ざれば、「酸性雨」という。東京都が作っている水を「上水」という。それを使って捨てれば「下水」となる。発電などに使った水は役所の感覚で「中水」という。農作物を作る利権が絡めば「農水」という。切りがないから話をもどそう。
「秘密の技術」と「公然の技術」の間にあるのが、「特許の技術」である。そこで、特許権という独占的排他権が与えられている技術で作った「特許の水」が生まれる。それに新規性を感じ好奇心をそそられる人々が多くなると、利益を独り占めしたくなるものである。例えば、「超純水」に関連する特許は、現時点で1300件を越える。その製造技術は250件を越える。特許権は二つとない技術思想に基づくと推論されるからこそ出願され、審査方式で登録されるのである。
では、なぜこのような技術が、健康のままではなく、病気になるのか。理由は二つある。一つは、その技術が不完全な状態に据え置かれているからである(不完全説)。もう一つは、人が考え出した技術だから病気になることが当然のこと組み込まれているのである(宿命説)。では、その病気が「特許の技術」に多発するのはなぜか。やはり、理由は二つある。一つは、技術の情報が開示されそれを人々が値踏みするからである(開示査定説)。二つ目は、私欲の期待が高まり人々が群れ利益の齟齬が生じるからである(利益相反説)。
「公然の技術」は色々な病歴を持っているものである。生き抜いてきたものは、多様な病気のリスクを最小化(免役化)しているはずであるから、強い知財となる。この知財を自由に使える機会が人々に与えられるのであれば、その価額は安価なものとなり、その技術情報に係る流通経費を負担すればよいことになる。それに対して、注目すべきなのが、「秘密の技術」である。外形からはそれが強いのか弱いのか、加えて、安いのか高いのかは判定できない。しかし、確実に病気は存在しているはずである。特に、「特許の技術」の育て方を選択せずに、ブラックボックス化手法(技術)を使って「秘密の技術」に仕立て上げたものには、何らかの病巣があるといえる。
不正競争防止法の枠組みから見た場合、「秘密の技術」を成り立たせるための法的要件が必要になる。つまり、単純にまとめると、秘密として管理されている、秘密の表示がなされている、非公知の有用性を表現している、少なくともこれらのことが満たされる必要がある。そしてさらに、知的財産基本法の枠組みからすれば、その秘密は、知財の成果として固定された情報のかたまりなのであるから、たとえ、その情報に暗号がかけられていたとしても、他者に譲渡移転することが可能なのであり、秘密に固有の消滅時効の時計が動いているのである。
このような性質は病巣となる。つまり、例えば、親告罪としての刑事罰をその抑止力として不正競争防止法を盾に取ったとする。その場合、秘密の流失、秘密の外部使用などに対する客観的抗力が希薄になる恐れがある。あるいは、非公知の有用性を表現する場合、どのような基準を持って判断されるかは過去の民事訴訟の判例から推論できるところであるが、ブラックボックス化技術(秘密の技術をリスク管理する方法)とは到底いえない粗雑な水準にとどまっている場合が多く見られる。まさに、これは重篤な状態にある秘密の病気なのである。
別の場面においても病気は発生するだろう。仮に、秘密を異なる組織に移転する場合が生じたとする。多くは秘密保持契約書(契約書という知財のかたまり)を交換する。しかし、この範囲では何らかの病気に罹患する危険がある。したがって、例えば、秘密の複写取引を担保するためエスクロウ特約(条件つき第三者預託証書による契約の応用)などの予防薬を投与すべきなのである。
菊池 純一(きくち じゅんいち)
知財評論家。長年知財価値の勘定体系はどうあるべきかを研究してきた某大学の教授。1951年生。
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