中村判決雑感


 知財関係者の間で酒を飲むたびに話題になってきた中村修二氏の職務発明訴訟判決が1月30日についに出された。そのような席において、筆者が「20億円はいくでしょう」というにつけ、同席する企業関係者は仰天して「まさか・・・」と言っていた「お化け」は、筆者の想像を遙かに超えた大蛇であった。特許法35条の改正が進行する中で、本判決は時期を逸した感もあり、筆者も論評を書くつもりはなかった。しかしまさか全面勝訴の「200億円」とは・・・。そのスケールから生じるインパクトのため睡眠も浅くなり、身体にも悪いので意見を発信してストレス発散を・・・と思いできあがったのが拙稿である。

 冒頭に断っておくが、本判決は極めて特殊なケースである。これが普遍化するかというと、答えはNOである。なぜか。理由は明らかである。弱小企業に勤めつつ、これほどのスケール感を達成した同種事案が日本にはないからである。従って、この判決によって、何かのリスクが飛躍的に高まったかと聞かれると、そうではないように思える。

 しかし何かを書かざるを得ない・・・と言うのが偽らざる心境である。
 以下、思いつくままに列挙してみる。



 まず第一に、すでに過去の論述でも述べたことであるが、特許報償はインセンティブプログラムに過ぎない。インセンティブプログラムである以上、本来、企業の裁量に委ねられるべきであり、これを国家機関である裁判所が認定するという構図を最高裁で認めたこと自体が本来はおかしいことである1

 仮にこれを容認するとしても、インセンティブとしての性質を逸脱することが明白な金額を認定することの是非は問われるべきである。発明者は企業によって肩代わりされたリスクのもとで技術開発を職務とし、その対価を得ている存在である。そのような立場の者のインセンティブとして妥当性があるのは、せいぜい当人の年収の数倍から数十倍ではないだろうか。自ら事業に対して出資したり、ストックオプションを付与されたわけではなく、かつ、その事業全体を運営したり、事業不振の責任をとる立場ではない発明者が(事業失敗においては無答責とされるにもかかわらず)事業成功の暁には事業全体の利益の数割にもあたる金額を取得することは、もはやインセンティブプログラムの枠組みを逸脱している2。結果的に成功したからと言って、負担したリスクに比べて桁外れの利潤を与えることは資本主義の原則に反するのではないだろうか3。(法以前の問題であり、ここに発明報償を司法的に判断することの一つの矛盾が生まれる。)

 特許制度は産業の発展を究極の目的とする。その目的を達成するためには、企業と発明者とが協働して企業の競争力を向上させることが不可欠であるが、特許法35条の規定するインセンティブプログラムは、企業と発明者との法律関係に関する唯一の規定である。その規定の運用において、企業の経営基盤をも揺るがすような金額を認定することは果たして法目的に添うのであろうか。国家が認定したインセンティブを支給したがために企業の存立が危うくなる、というのでは本末転倒である。



 さて、冒頭から不平不満のようなことを述べたが、もう少し本判決の内容に沿って考えてみよう。本判決によれば、「発明によって会社が得た利益」の算定方法は以下のように述べられている。

 使用者が当該発明に関する権利を承継することによって受けるべき利益(同法35条4項)とは,当該発明を実施して得られる利益ではなく,特許権の取得により当該発明を実施する権利を独占することによって得られる利益(独占の利益)と解するのが相当である。ここでいう独占の利益とは,@使用者が当該特許発明の実施を他社に許諾している場合には,それによって得られる実施料収入がこれに該当するが,A他社に実施許諾していない場合には,特許権の効力として他社に当該特許発明の実施を禁止したことに基づいて使用者があげた利益がこれに該当するというべきである。後者(上記A)においては,例えば,使用者が当該発明を実施した製品を製造販売している場合には,他社に対する禁止の効果として,他社に実施許諾していた場合に予想される売上高と比較して,これを上回る売上高(以下「超過売上高」という。)を得ているとすれば,超過売上高に基づく収益がこれに当たるものというべきである。また,使用者が当該発明自体を実施していないとしても,他社に対して当該発明の実施を禁止した効果として,当該発明の代替技術を実施した製品の販売について使用者が市場において優位な立場を獲得しているなら,それによる超過売上高に基づく利益は,上記独占の利益に該当するものということができる。B他社に実施許諾していない場合については,このほか,仮に他社に実施許諾した場合を想定して,その場合に得られる実施料収入として,独占の利益を算定することも考えられる。


 ちょっとわかりにくいが、概ね、以下の図表のようになる。




 さて、上記算定基準によれば、自社実施の場合においても「マーケット規模の増大」が不可避的に発明者のインセンティブに反映される。しかし、マーケット規模を増大させるのは発明者ではない。靴をすり減らせて無名だった日亜ブランドとその商品を売り込んだ営業マンたち、受注に応じて欠品を起こさぬように徹夜操業も厭わなかったであろう現場の作業員とその管理者たち、部外者の筆者が想像するだけでも多くの関係者の努力のたまものであることは明らかである。本来ならば、これらの人間にもインセンティブは支給されるべきであるのに、「特許権の承継に対して対価を支払え」という法律上の規定が存在するとの理由のみで、発明者にしかこれが支給されない(正確には、発明者以外は法的に争えない)のは不合理に尽きる。(インセンティブプログラムとしての法制の不備)。



 企業サイドからのみ述べてきたが、筆者はもともとある企業でエンジニアとして金属材料の研究開発に従事し、発明者として特許出願に関与した経験を有する。そのような経験を踏まえ、発明者の立場に立つと以下のようにも感じる。

 そもそも、日本企業がこれまで従業員個人のインセンティブをあまりにも軽視しすぎてきたことは間違いない。これは敗戦から復活を遂げようとした我が国産業界が個人の満足よりも企業の満足を重視したからであって、高度成長期においては、企業の発展=個人の豊かさという共同利益的な図式により、企業と発明者との間にも一種のバランスとコンセンサスが図られていた。

 しかし、90年代以降、日本経済が全体として停滞する中で、上記のバランスとコンセンサスが崩れていった。そのような状況の中、企業は旧態依然とした発明者無視のインセンティブプログラムの維持はもはや限界があることをより早く気づくべきであったにもかかわらず、その転換は未だに大きく遅れており、判例や同業他社の推移を見てようやくこれに着手しているという状況である。そして、このような時代の変遷に対する無自覚が今日の職務発明訴訟を誘発したともいえる。

 知的資産を軸として競争力を確保するという競争モデルにおいて、人材は競争力の源泉として従前に比肩できないほどに重要になっており、最近は「人財」とも言われる。有為な人材を育て、確保し、そのモラルを引き上げることが企業競争力に与える影響は、著しく高まっており、日本企業はこれを技術開発者の側面(発明報償)のみならず、他の面を含め全体的に着手すべきである4

 日本にも少なからず有能な人財はいる。これらの若手の多くは、自分の才能を認識することなく企業に就職し、旧態依然とした企業の枠組みの中で費消し、いつしか真に才能を発揮することなく凡に帰する。中村氏のように自分を主張し続け成功に至るケースは稀である。また、そのような才能を引き出すシステムと、引き留める魅力と柔軟性をもった日本の組織は皆無に等しい。

 本件は200億円という金銭的なスケールのみが先行しているように見えるが、本質はそうではない。日本企業の人事制度の在り方に投げかけられた波紋であると認識し、発明者のみならず多様な職種の従業員に対し、いかなるインセンティブ制度がありうるのか。これを真剣に研究した企業が知的資産経営の時代に生き残るはずである。



 話が広がりすぎたように思う(反省)。

 筆者は事あるたびに、本来インセンティブにしか過ぎない発明報償について、国家機関である司法による判断がされるべきとの判断のもと、特許法35条3項に強行規定性を認めたことが誤っていると述べてきた。とはいうものの、かかる前提がすでに確立した以上、具体的事案に対する法の適用を職責とする裁判所の苦労は想像するに余りある。また、裁判の限界として、当事者が主張しない事実については判断することができないというルール(弁論主義)が存在する。つまり、仮に、裁判官が筆者のように考えていたとしても、当事者の主張なき以上、判決でこれに言及し、認定することは許されないのである。

 冒頭に述べたように本件はあまりにも特殊なケース、つまり、論評するにはエキセントリックに過ぎる不適切なケースであることも否めない。

 判例でもこの点について以下のように述べている。

競業会社である豊田合成やクリー社が青色LEDの分野において先行する研究に基づく技術情報の蓄積や研究部門における豊富な人的スタッフを備えていたのに対して,被告会社においては青色LEDに関する技術情報の蓄積も,研究面において原告を指導ないし援助する人的スタッフもない状況にあったなか,原告は,独力で,全く独自の発想に基づいて本件特許発明を発明したということができる。本件は,当該分野における先行研究に基づいて高度な技術情報を蓄積し,人的にも物的にも豊富な陣容の研究部門を備えた大企業において,他の技術者の高度な知見ないし実験能力に基づく指導や援助に支えられて発明をしたような事例とは全く異なり,小企業の貧弱な研究環境の下で,従業員発明者が個人的能力と独創的な発想により,競業会社をはじめとする世界中の研究機関に先んじて,産業界待望の世界的発明をなしとげたという,職務発明としては全く稀有な事例である。

 全く同感である。一人の法曹関係者としては、この一節に本件を特殊事案として処理し、その先例性を極力否定したいという裁判所の苦悩が滲み出ているような気がしてならない。

 そして、この裁判所の事実認定が真実であるならば、中村氏と同じく、若きころ自分の研究成果をもって市場や競合企業に一矢報いたいという一念で研究開発に取り組んだ経験のある筆者としては、これまで展開した小難しい議論や理屈はひとまず捨象し、青色LEDという「百年に一度」という賞賛に相応しい商業発明を成し遂げ、巨万の富を得た中村氏に心から喝采を送りたいと思う。



鮫島 正洋(さめじま まさひろ)
 知財評論家。知財に絡む社会の動きを怜悧に捉え、万人にその本質を伝えることをモットーとする。酒と美食を愛し、堕落を旨とするが、知財に対する想いは人後に落ちないと自負する知財エバンジュリスト。表の顔は「弁護士」、知財マネジメント・コンサルを隠れた生業としている。