知財の権利が消えない門跡商売(Vol.4-2)

 知的財産というのであるから、当然のこと、財産権が発生し、それを行使して一定の価値を権利者のモノにしようとする。しかし、その権利が消えることがある。むろん、特許権のように審判手続きの中で無効になるような物語は別にしよう。かつ、時間の経過によって消滅に至るような物語も別物と考えよう。ここで、考えたいのは、知財の流通過程において、特定の権利が「消えて」、その後、「復活し」、さらに、「変身する」という物語である。物権の価値は変容するものであると言い放ってしまえばそれまでのことであるが、知財の場合、直接間接に関わる権利者たちの中には、創成者、あるいは、発明者、あるいは、オリジネーターという呼称が賦与される特権階級がいる。それゆえ、物語の展開が複雑になる。消えたり点灯したりという点滅現象は、知財の流通に必要不可欠な交通信号なのであろうか。そのような交通ルールを守らなければ、社会の安全・安心を脅かす者として罰せられるのであろうか。

 人は、法人も含めて、知財に価値があるとすれば、私益を確定すべく権利の付与に固執する。そして、さまざまな権利の束を作り出す。そのことが更なる価値を増殖させる。その典型例が、著作物と著作権に係るビジネス模型である。例えば、頒布権者またはその許諾を得た者が著作物等を譲渡した場合、当該著作物等について頒布権はその目的を達成したものとして消尽し、もはや頒布権の効力は、以後の譲渡には及ばない。しかし、オリジネーターの「意」に反して、取引に供された場合、いくつかの要件テストが必要になる。つまり、「意」の予見性は確保されていたか。技術革新からの裨益(アウトカム、又は、ウインドフォールベネフィット)による開眼(あらたなビジネスの可能性を知ることによる権利の創設)を認めるのか、などのテストである。特に、改正著作権法における、自動公衆送信における著作隣接権では、旧法で認められなかった自動公衆送信における実演家・レコード製作者の権利が許諾(金銭的補償請求の権利よりも強いイエス・ノーの確認)のレベルに格上げされた。デジタル社会の著作者は一度参加すると安穏とすることは許されないのである。

 著作権法というデジュールは、著作者の保護に関する法であり、いわゆる、門跡商売を可能にする。同時に、関所の通行手形管理業務(個々の力に応じた契約あるいは業界内部のデファクトに従ったビジネス)を派生させる。それゆえ、弱いタレント事務所は3回まではタダで、強く個性豊かな有名人が作り出した著作物の再使用は1回だけなどという格付けがなされる。それをベースにして、人々が群がるからさらに巨額な市場に膨れ上がるのである。

 知財に関する権利の点滅が生じることを許しているデジュールの典型は、種苗法という、いわゆる、植物の育成者を保護する法である。特定の苗や種が取引されて売買される。そして、それが育って、果実をもたらす。ここまでが一つのビジネスである。そこから、一族を増やそうとすると、育成者(特定の遺伝子系列を持っている種の育成)のビジネスに抵触するから、門跡商売の網にかかるわけである。むろん、夕張メロンのように放射線処理をして子供を生めない状態にした商品を売買するビジネスもある。

 特許という知財においても、この種の門跡商売がある。つまり、製造した物を売った後、資源回収業者が儲けようとしたら、再生産という網に引っかかったという話である。「使い捨てカメラ」や「プリンター用のインク・タンク」などのビジネスが民事訴訟の火種になっている。雑感ではあるが、「使い捨てカメラ」に関しては、たまたま、技術条件が整って門跡商売が成立したのであって、むしろ、「使わせてあげるカメラ」といえば良かったのである。

 営業秘密という知的財産については、門跡商売が成り立つのであろうか。不正競争防止法というデジュールがそれを部分的に可能にはしている。また、一般的な商取引慣行の中で交わされる秘密保持に関する覚書やその種の契約書を見ると、第三者に関してもその網をかけているから、一見、成立するように思える。しかし、他者に譲渡された営業秘密なる知財のコンテンツは曖昧に指定されるにとどまり、かつ、技術ノウハウのマニュアル等は別として、具体的に成文化されることは稀有である。したがって、第三者に対抗して先使用を立証するだけの資料を用意することは不能である。このような状況から脱皮して、門跡商売のための新しい仕掛けを工夫することは可能であるが、果たして、その指にとまる者が何人いるのかは定かではない。

 知的財産の世界は新しい資本主義であるが、その内部に、人間の古い脳から出てきている、本源的思想が配されている。門跡商売と楽市楽座を対比する必要はないが、むしろ、対比せずに、それらの融合を図るべきであると思うが、改めて、知財に関する「first sale doctrine」の効用と弊害を再検証するべきであろう。



菊池 純一(きくち じゅんいち)
 知財評論家。長年知財価値の勘定体系はどうあるべきかを研究してきた某大学の教授。1951年生。