職務発明の争点(その二)  (Vol.2-2)

 今、大手企業に研究開発プロジェクトの売り込みがあったとする。その研究者は、近い将来においてベンチャー企業を立上げ、知的財産のアウトソーシングを専業とする業態に参画したいと考えている。そのような売り込みの初期段階において、特に商社の仲介が行われなくても、秘密保持契約が交わされるのは一般的なことであろう。その契約条項には、これから組み立てられるであろう、ビジネス・モデルの価値形成プロセスにおいて生じる、「リスク付きの期待収益」を配分するために必要な種々の算定基準とその初期値についての取り扱い方が明文化されているはずである。むろん、その後のプロセスが共同研究開発に発展しようと、あるいは、技術提携のスタイルなろうと、さらには、新たな起業への出資契約に発展しようと、均衡点をもとめて契約の交渉が行われる。N個の情報を持つ大手企業と、N−1個の情報を持つ研究者が、あたかも、大リーグ野球の契約交渉に類似したプロセスを経て契約にいたるとすれば、研究開発の初期段階におけるマイナー契約よりも、何らかの知的財産を積み上げたメジャー契約の方が高額な取引になると期待されるだろう。

 他方、巨額の研究開発資金と最新鋭の設備と最先端分野を走る同僚の、全てのセットが得られる雇用機会が、その研究者に提案されたとする。そして、完全ではないものの、いく種類かの条件を組み合わせたセットも同様に、企業銘柄の順位を構成するがごとく提示されたとする。その研究者の競争相手を競り落とすような「目利き」の算定基準が与えられるのであれば、いわゆる、日本の新卒雇用において実現しているような、銘柄別の順位均衡に基づく雇用が成立するはずである。つまり、条件の良い組織的研究開発には、選ばれた優秀な研究者が従事し、銘柄の順番を追うように、次善の雇用が決定されていくはずである。さらに、より良い研究環境、より良いインセンティブが、その組織の外部で得られるのであれば、インハウスの研究開発者たちは新たな雇用先を求めて転職するか、あるいは、自らの雇用条件を改善するための動きを強めることになる。そのことが、既得の銘柄の順位均衡を流動化させることになるだろう。仮に、前段の大リーグ野球契約に類似したリスク付きのインセンティブが、職務発明報奨の算定基準として提案された場合と、もう一つの算定基準として、継続的な発明行為を続ける中で発生する種々のリスク負担を軽減するという、リスクフリーのインセンティブが提示された場合を考える。「リスク付きの期待収益」が「リスクフリーの期待収益」を大幅に上回らない限り、インハウスの研究開発においては、一般的に、リスクフリーの条件が主流になる。あるいは、銘柄の順位均衡が行き着いた先のトップランナーに提示される条件は、完全なリスクフリー条件で、かつ、高額なものになることも予想される。

 研究開発のアウトソーシングに基づく、知的財産の対価の算定基準を「リスク付きの期待収益」に求めることができるのであれば、他方、研究開発のインソーシングに基づく算定基準は、「リスクフリーの期待収益」に求めることができる。知的財産のロイヤルティを算定する場合に、組織的リスクと技術分野リスクなどの加算分を分離する必要があるだろう。



菊池 純一(きくち じゅんいち)
 知財評論家。長年知財価値の勘定体系はどうあるべきかを研究してきた某大学の教授。1951年生。