情熱を束ねる庶民の文化  (Vol.1-9)

 1900年4月11日から開かれたパリ万博では、木製ベルトで作られた時速4キロの「動く歩道」が使われた。リュミエール社の映画も上映された。一時期ブームになって衰退していた水族館が、科学者と芸術家と娯楽の仕掛人の三者連携で再生された。11月までの入場者総数5000万人というから、すごい話である。一般大衆とかけ離れたところにあった科学技術の「知識」が庶民に近いものとして提供されたからであろう。

 それから、百年を越えた現在、科学技術に対する庶民の情熱はどこへいったのであろうか。あまりにも多くのモノを与えられ過ぎて、満腹中枢が麻痺してしまったと反省する人々もいる。「大学へ行けば、21世紀の技術がある」とさらに期待を膨らます人々もいる。もう一度、庶民感覚がどこにあるのかを確認してもよい時期なのではないだろうか。

 このような話になると思い出すのが、100年前の、いや正確には、96年前の「亀の子束子」の話である。1907年、ベンチャー企業の西尾商店が立ち上がる。翌年1月実用新案を出願、7月登録。最速である。1913年特許出願、二年後の7月「27983号」として成立する。その後、特許切れを越えて、今でも、「同じ名前、同じ形、同じ品質で」使いつづけられている。1949年2月に社名を変更して商標出願、翌年10月「393339号」として商標「亀の子束子」が成立する。10年ごとに更新して現在に至っている。むろん、私は、この企業の宣伝部員ではない。知財経営の根本にある長寿の原理原則を知りたいから紹介したまでのことだ。この知的財産が、洗浄文化、それ自体を創造的に破壊するような技術革新をもたらしたわけではない。例えば、地球のオゾン層を破壊するフロンという商品を精密洗浄に使えなくなったから、無洗浄可能の部材を開発しようとか、超純水を使おうとかいうレベルの話ではないのである。単に、庶民感覚を保った洗浄文化の中で、時間を省き、長持ちするだけの工夫を施した商品がロングセラーになったのである。

 もう一つ、長寿の話をしよう。1700年代の後半から商いをしている、人形町の「うぶけや」である。この店の本物の爪きりやはさみを使っている若者は少ないだろう。これほどの歴史を保った老舗の「のれん」は、技術に裏付けられた強い知財である。1958年に「513404号」として商標登録されている。庶民であることを自認する私が使って、おやじが使って、そして、墓の中にいる爺さまが買ってきた年代物と同じものが、今でも、売っている。「知財目利き」の玄人ではなくても、使ってみればその違いがわかる。とにかく、使いやすいの一言である。百円のはさみで良いというような無粋な者たちは、洗練された技術とノウハウに傾斜する道具文化を語る資格はない。

 とはいえ、道具文化が確実に変質していることは事実だろう。かつ、「切る」とか「洗う」という行為自体が、サービス経済化され、庶民の家事生活の中から消えつつあるのかもしれない。近年、ライフスタイルの志向性を再点検する動きが強くなっている。例えば、フューチャ―500の木内孝氏によれば、米国における「LOHAS市場(健康と環境を志向するライフスタイルの市場)」は、6300万人を越え、27兆円規模になっているらしい。もし仮に、庶民の情熱がそのような方向に向いているのであれば、この数十年の間に壊れ始めた道具文化が、再び、根本的に再生される可能性は大きいのではないだろうか。



菊池 純一(きくち じゅんいち)
 知財評論家。長年知財価値の勘定体系はどうあるべきかを研究してきた某大学の教授。1951年生。