アソシアシオンの変形と知財ベネヴォラ  (Vol.1-7)

 フランスにおいて、アソシアシオンというNPOが新たなブームになっているらしい。NPO(非営利組織)という響きには、どうしても、「第三の弱き者」への働きかけという色彩を強く感じる。日本にも多種多様なNPOがあることを知っているが、それらに比べて、フランスのアソシアシオンでは、いわゆる、「ベネヴォラ(良い意思を持つ人)」と自らを称し、自己研鑽を推し進める同好会的色彩が強い。特に、就業時間内にやっていることとは違う種々の活動を自発的に行い自らの人生を豊かにすることが追求されている。その全国評議会CNNAが報告しているだから、そうなのだろう。

 このような傾向は、フランスにとどまらず、全世界的な運動になりつつある。その理由を特定することは難しいが少し考えてみよう。平和な社会が続き、徴兵制の役割が後退して、老若男女を問わず国民的責務を見失ったからだという意見もある。私利私欲の喧騒から抜け出して同好会的なコュ二ティを作ることが、21世紀の思想的ルネッサンスだという学者もいる。確かに、歴史が輪廻するのかもしれない。19世紀の終わりにも、経済学者のワルラスなどがはまったように、同好会的ではなかったが、類似の結合組織作りの運動が盛んになされた。むろん、私利私欲の世界では、単なる敵対関係だけではなく、協調関係も合理的に作り出される。ゲーム理論の「囚人のジレンマ」が示すように、「互いに協調」することによって利益の合和が大きくなるようにルール付けしてやると、一、二度の苦い間違いを経る可能性はあるが、「協調路線」を歩むようになる。また、私利私欲の世界では、「フリーク」と呼ばれる者たちが、情報交換の場として同好会を作ることがある。例えば、株仲間とか為替オプション同好会などというものがその典型である。彼らの幸福がいくつかの係数の計算によって推測される範囲に収まっているのであれば、はずれ値を生み出す危険性に関する情報を欲しがるのはフリークの「性(さが)」である。しかし、古典的なグレシャムの「悪貨は良貨を駆逐する」のたとえに従えば、公開の場に出まわる情報は悪質なものが多くなるはずである。先の同好会が、グレシャムのメカニズムに汚染されているであれば、そのような結合組織は次第に衰退していくのも自然淘汰の考えである。ということは、長い歴史を持つ同好会に属する人々の中には「ベネヴォラ」である人が多いことが自明なのである。あるいは、アソシアシオンを維持するためには、ベネヴォラであることを必須の条件にするのである。

 今、仮に、知財の取引の世界において、「知財ベネヴォラ」という人々がいたとする。ベネヴォラであるためには、知財の適正価値(Fair Value)を自らが身をもって体現する必要がある。粗雑な共同体が作り出していた数少ない知財のかたまりの中で不平不満を連ねるよりも、思い切って、広大な知財の荒れ野に向けて出発することが望まれる。そのときは、後ろを振り返るべきではないだろう。知財が枯渇すれば、争いの火種になる。知財が豊かになれば、救いの水になる。というのは、古書にある「メリバ(争い)の水」のたとえ話である。この世界に、救いの水をくみ出すための「知財ベネヴォラ」が少ないのであれば、そのような人々を養成する「孵卵器」を準備する必要がある。知財を国富の源泉とする構想を推し進めるのであれば、荒れ野に自生する知財アソシアシオンを求めるべきではないかと考えている。



菊池 純一(きくち じゅんいち)
 知財評論家。長年知財価値の勘定体系はどうあるべきかを研究してきた某大学の教授。1951年生。